私たちは“見えない壁”に止められている。
人類はこれまで、火を使い、言語を生み、車輪を作り、インターネットを編み出し、ついには冷蔵庫の中をむやみやたらに確かめるという不要なまでに高度な知的生活に到達した。
人類は度々限界に挑戦し、その度文明は進歩してきた。
しかし残念ながら「自分には無理」という自己抑制も未だ根強く我々の心に巣食っているのも事実だろう。
人はなぜ、限界を感じるのだろうか。
なぜ、私たちはまだ何も起きていない段階で既に弱腰になるのだろうか。
なぜ「やってみたい」と思った数秒後に、「いや、そもそも私はそういうタイプではない」と、急に自分を説き伏せる論説を始めるのか。
これはなかなか不思議なことである。
たとえば目の前に本物の壁があれば、対応は比較的わかりやすい。
止まる、回る、登る、諦める。いずれにしても、相手が壁だとはっきりしていればすぐに判断ができる。
ところが知っての通り、人生で問題になる壁の多くはレンガや鉄でもなく、もっと曖昧な物でできている。
空気、世間体、過去の記憶、自意識、そして飛躍を遂げた誇大妄想。
現代社会の壁は、おおむね厄介な建材で作られているのだ。
この記事ではなぜ人は限界を感じるのか、なぜ見えない壁にぶつかるのか、そしてその壁をどう越えるかについて、真面目かどうかはさておき考えてみようと思う。
人の限界はどこからくるのか
人が限界を感じる理由は、能力不足だけではない。
むしろ実際には能力の問題が現れる前に、脳のほうが「この案件は断った方がいいかも」という通達を出しているが為に諦めている場合が多い。
脳は異常に発達した省エネ器官である。
不確実そう、失敗しそう、恥をかきそうなことを好まず、昨日と同じことをしてほしいと常に我々に思っている。
そのおかげで人類は生き延びてきた一方で、現代人は「まだ何もしていないのに怯える」という妙な行動を取ることとなってしまった。


新しいことを始めようとしたときに出てくる内なる声
- 今さら遅いのではないか
- 自分には向いていないのではないか
- 失敗したら恥ずかしい
- 大した意味がないのではないか
- 今日はやめて、明日考えたほうが知的ではないか
何かを始めようとすると、たいていいつもどこからか囁きが聞こえてくる。
多くは取るに足らない妄言であるが、なぜかその場では妙にもっともらしく聞こえてしまう。
それは人間というものが、実際には理屈を使って現状維持を正当化するのが上手い動物であるからだ。
つまり私たちは、本物の壁を見る前に、壁がありそうだという予感に負けている。
これはいわば、映画館に入る前に「たぶん難解そうだし、自分には理解できないだろう」と判断して帰るようなものだ。
しかもチケットはすでに買ってあるのに。なんとも惜しい話ではないだろうか。
現代人を止める“見えない壁”の正体
崖、城壁、海、砂漠、身分制度。昔の壁は少なくとも「ああ、これは壁だな」と見ればわかるものだった。
対して現代の壁は、姿を見せない。その代わりそれはこちらの頭の中に観念としてだらしなく住み着いている。
周囲の目という壁
「変に思われたらどうしよう」「笑われたらどうしよう」という不安は、とても空気的でありながら、恐ろしく重い。
他人は案外こちらのことを見ていない、というのはよく言われる話だが、問題はそこではない。
こちらが見られている気がしている、と思えば既に見られているのと同じなのである。
更に悪いことに想像上のオーディエンスは、現実よりたいてい厳しい指摘を繰り広げる。
これを取り除くのは思っているより容易ではない。
前例がないことへの不安
前例がないと、人は急に慎重になる。
確かに前例はありがたい。安心感があり、責任の所在も少し薄まる。みんなで同じ橋を渡るのは心理的に楽である。
しかし、前例がないこと=危険ではない。
人類の進歩は、かなりの割合で例のないことをうっかりしてしまった人によって達成されていることを考えれば、前例を過剰に信頼することもないだろう。
失敗への過剰な恐れ
知っての通り失敗はあまり愉快ではない。
称賛される失敗というのは、だいたい後年になってから美談にされているだけで、当時の本人はたいていそれなりに苦い顔をしていたはずである。
ただ、失敗が怖いからといって何も試さないと、今度は「失敗しない代わりに何も起きない」という、別種の問題が意気揚々と立ち上ってくる。残念ながらこちらも思うほど愉快なものではない。
自分で作った思い込み
年齢、肩書き、過去の結果、得意不得意。
こうしたものを材料にして、人は器用に自分を守りつつ、閉じ込めもする檻を作ってしまう。
「私はこういう人間だから」というのは自己理解にも使えるが、ときどき強力なブレーキにもなりうる。
自己認識は大切なことだが、問題はそれが牢屋に変わった瞬間を知らしてくれないところにある。
このように現代社会の壁は、空気、自意識、比較、予測不安、そして妙に説得力のある自己解説できている。
厄介なのは、それらがすべて本人の声で再生されることだ。敵が自分の内側にいるときの方が、対策はやや困難になる。


限界を越えたいのに動けない理由
ここまで人は社会的、身体的に現状を維持する生き物であることがわかった。
しかし本心はどうだろう、ただ安全でいたいわけでもないのではないだろうか。
本当にそうなら、転職も告白も起業も引っ越しも創作も存在しないはず、少なくとも深夜に「人生 変えたい」と検索する者はいないはずだ。
人は安全を好む。
しかし同時に、ずっと安全なままだと、だんだん息苦しくもなる。
大きな問題は起きていないのに、何かと圧迫感と焦燥感に襲われる。
これは、自分の行動範囲が縮んでいるサインかもしれない。
そして興味深いことに人が実際に何かを越える瞬間は、必ずしも立派ではない。
人はしばしば、よく練られた理念や計画ではなく、雑な勢いで動く。
- もういい、やっちまえ
- ここで止まっていてもどうしようもないな
- たぶん完璧ではないが、完璧もたぶん永遠にやってこないな
- とりあえず一回ぶつかってから考えてみるか
美しいどころかやけくそとも言える言葉の方が、案外人生を前に進めることが多い。
文明は理性で築かれたようにみえるが、実際にはかなりの部分が「ええい、ままよ」で動いてきた。


見えない壁を越えるためのヒント
見えない壁を前にしたとき、毎回壮大な決断が必要になるわけではない。
むしろ、小さな突破のほうが現実的だろう。
壁が本当にあるのかを疑う
最初にやるべきことは、その壁が事実なのか、推測なのかを分けることだ。
「難しい」は「不可能」ではないし、「不安」は「危険」と同義ではない。
ここを混同すると、人はいまだ存在しない壁の前で、慇懃に立ち尽くすこととなる。
小さくぶつかってみる
いきなり全面突破しようとすると、たいてい話が重くなってしまう。
壁の材質は、軽く触れてみるまでわからないものである。
見た目は要塞でも、中身は案外ベニヤ板かもしれない。
人生にそういう拍子抜けはつきものだ。
失敗の意味を広げすぎない
一度うまくいかなかったからといって、それを自分の人格絶対評価にしないことだ。
失敗はフィードバックとして方向の調整には役立つ一方、「私はダメだ」と一足飛びに結論を飛躍させると、失敗が余計な力を持ち始める。そこまで失敗を偉くしてやる義理はない。
“越える”を再定義する
限界を越えるというと、何か劇的な変化を想像しがちだ。
けれど実際には、昨日まで避けていたことを、今日ほんの少しやるだけでも十分に突破したと言ってもよいのではないだろうか。
人生の多くは、自己の破壊からではなく小さなひび割れから動き始める。
それで充分なのだ。
むしろ毎回破壊していたら、日常生活に支障が出るだろう。


壁の前で人の個性が現れる
壁というのは、困りものだが、ひとつだけ良い点がある。
前に立たされると、その人の癖や本音がよく見えるのだ。
回り道を探す人、
測量を始める人、
壁の歴史を調べ、比較文化論を書き始める人もいる。
そして、ときどき何の前触れもなくおもむろにぶつかっていく人もいる。
どのタイプも味わい深いが、清々しいのはやはり最後の人だ。
全然合理的ではないし、むしろかなり危なっかしい。
それでも自分の中の「ここまで」を越えてしまう人には、見ている側まで自然と少し肩の荷を下ろしてしまう力がある。


まとめ:限界は能力だけで決まるわけではない
人が限界を感じるのは、能力不足だけが理由ではない。
見えない壁、つまり不安、思い込み、周囲の目、過去の解釈が、実際の限界より先に行動を止めてしまうことがある。
だから必要なのは、最初から華々しく勝つことではなく、まずはその壁が本当に壁なのかを疑うことだ。
人生には、ノックしても開いてくれない壁も確かにある。
一方で、こちらが勝手に難攻不落だと思い込んでいただけで、実は少し押したら動くものもある。
見分けがつかない日もあるだろう。
そういう日は、とりあえず軽く触ってみるのがいいのだと思う。
その程度でも、昨日までの自分が決めていた限界が案外あっさりひび割れることもあるのだ。
そしてもし、目の前にやけに立派な形をした壁が現れたなら、まずは落ち着いて観察するといいだろう。
本当に越えられないのか。
それとも、向こうがただ壁らしい態度を取っているだけなのか。
世の中には、後者がわりと多いのだ。
最後に
とはいえ、日常生活を過ごしていれば常にそのような姿勢でいることは難しいだろう。
そんな時、それを思い起こしてくれる何かがあれば、より小さな限界を突破し続けることができるのではないだろうか。
本記事で度々登場しているイタリア発のアートブランド【ROMANs】は、そのような現代社会に生きる人間像を描いている。
中でも「限界を越えろ」は、本記事の内容を表した一作である。


またROMANsは他にもユニークかつ時に哲学的でユーモラス、また時にはロマンチックな人間そのものをテーマにしたアートを多数描いている。興味のある方はぜひご覧いただきたい。
今回登場したアート




















