序章:小指と小指が赤い糸で結ばれている
「運命の赤い糸」や「白馬の王子様」と言った言葉を皆耳にしたことはあるだろう。
この一見無害な民話と、西洋から輸入されたという概念が合体して、現代日本に究極の恋愛観を生み出したという事実を知ったら、おそらく驚くのではないだろうか。
驚かないとしたら、あなたはすでにその恋愛観に陥っているのかもしれない。

第一章:東西物語のコラボが生んだ「運命の人」という幻想
まず、「運命の人」という考えがどこから来たのかだが、これには二つの物語が絡んでいると筆者は考える。
1、赤い糸の伝説(中国起源)
2、白馬の王子様(西洋起源)
この二つが、おそらく20世紀後半の日本で出会いそのような思想が生まれた。
おそらくディズニー映画と何かの少女漫画の影響下で。
赤い糸と白馬の王子様が合体したことにより、
我ら日本人にどのような恋愛観をもたらしたかということは言うまでもなく
以下のようなものだろう。
運命的に出会う、完璧な一人の相手が私のすべての問題を解決してくれるはずだ

これは、両方の概念の最悪の部分だけを抽出した、悪魔的な発明である。
- 赤い糸から:「運命的な出会い」という神秘性
- 白馬の王子様から:「完璧な相手」「一人だけ」「受動的な救済」
結果として、私たちは次のような信念体系を手に入れた:
- 完璧な相手が一人だけ存在する(白馬の王子様要素)
- その人とは運命的に出会う(赤い糸要素)
- だから何もしなくても大丈夫(白馬の王子様要素)
- でも出会ったら「ビビッとくる」はず(赤い糸要素)
- その人が私を幸せにしてくれる(白馬の王子様要素)
これは、恋愛における完全なる受動性と非現実的な期待を同時に正当化する、驚くべき思考システムである。
第二章:「赤い糸」と「白馬の王子様」のお話
この章ではそれぞれの物語を少し掘り下げ、観察してみよう。
白馬の王子様について
この概念の起源は複数考えられるが、主にヨーロッパの童話だろう。シンデレラ、白雪姫、眠れる森の美女。それぞれ大体お決まりのパターンに沿って物語が進行する。
- 女性は困難な状況にいる(継母にいじめられる、毒リンゴで眠る、呪いで眠る)
- 何もせずに待つ
- 王子様が現れる
- すべてが解決される
- 結婚して「幸せに暮らしましたとさ」
注目すべきは、これらの物語が書かれた時代背景である。女性には職業選択の自由も、財産権も、政治的権利もほとんどなかった時代。「良い結婚」は、文字通り生存戦略だった。
つまり、白馬の王子様は、ある意味当時の社会構造が生み出した現実だったのだ。
問題は、このマニュアルが21世紀まで生き延びてしまったことである。

赤い糸について
対照的に、赤い糸の原典を見てみよう。
これは『定婚店』という物語が元となっているとされている。
主人公の若者は、月下老人(結婚の神様)に「君の結婚相手は市場で物乞いをしているあの娘だよ」と告げられる。
若者はそれを聞いてとんてもなくブチギレた。
そして彼は、あろうことかその娘を殺害するよう従者に命令した。(白馬の王子様では絶対に起こらない展開である)
しかし従者は娘を殺しきれず、額に傷を負わせるだけで終わる。
十数年後、若者は立派な大人になり、高官の美しい娘と結婚する。
新妻はいつも額に飾りをつけている。
彼がその理由を聞くと、娘は幼い頃に市場で襲われて傷を負ったからと答えた。彼女は昔、彼が殺そうとした娘だった。
彼は自分が殺そうとした相手と、知らずに恋に落ちて結婚したのである。

この物語が教えるのは
- 最初の出会いは最悪でもいい
- 時間と成長が必要
- 相手は「完璧」ではなく、むしろ最初は拒絶したい相手かもしれない
- でも状況が変われば、同じ人との関係性も変わる
これは白馬の王子様の正反対である。
第三章:現代日本の恋愛観
さて、この二つの物語が都合よく合体を遂げると、このようになる。
シナリオ1:赤い糸で繋がった白馬の王子様を待つ人
「運命の人は必ずいる(赤い糸)。その人は完璧で(白馬の王子様)、出会えばすぐわかる(赤い糸)。だから待っていればいい(白馬の王子様)」
- 積極的に行動しない(王子様が来てくれるから)
- でも「ビビッとこない」相手はすぐ却下(赤い糸じゃないから)
- 関係に問題が起きると「この人じゃなかった」と判断(白馬の王子様は完璧なはずだから)
シナリオ2:「この人が運命の人」と信じ込む人
出会った相手に対して「この人こそが運命の人だ(赤い糸)、だから完璧なはずだ(白馬の王子様)」と思い込む。
- 相手への期待値が異常に高い
- 相手が自分を幸せにしてくれるはずだと信じている
- 相手が期待に応えられないと、激しく失望する
- でも「運命だから」と関係を続けようとする
どちらのシナリオも、地獄への片道切符である。

第四章:運命は時間と共に変化する
ここで、両方の概念が見落としている決定的な事実がある。
人間は変化する生き物である
あなたは10年前の自分と同じだろうか?同じ映画が好きで、同じ価値観を持っているだろうか?
もちろん違う。
では、「今の自分にとって完璧な相手」を見つけたとして、5年後のあなたにとってもその人は完璧だろうか?
白馬の王子様は、まるで冷凍マグロのように鮮度抜群で「永遠に完璧」であることを前提としている。しかし私たちは変化し、成長し、時には腐り、時には熟成する。
赤い糸の原典は、この時間軸を理解していた。若者と娘は、時間をかけて別人のように成長したからこそ、関係を築けたのだ。
でも現代の「運命の人」概念は、月下老人も腰を抜かすほどこの時間軸を見て見ぬふりをしてしまった。
その結果「今すぐ完璧な相手に出会えるはず」という、あらぬ期待が生まれたのである。
第五章:現実的な運命の人
現実はこうである。
あなたの小指には、一本ではなく、何百本、何千本もの赤い糸が結ばれている。
それぞれが異なる人との「可能性」を表している。
でもほとんどの糸は、あなたが気づく前に消える。タイミングが合わない、地理的に遠い、社会的な壁がある、あるいは単純に気づかない。
そして時々、どちらかが糸に気づき、引っ張る。相手も同時に引っ張った時だけ、二人は近づく。
ここまでは赤い糸の話だが、問題は、引っ張り始めた後にある。
白馬の王子様的思考だと、「糸が繋がった=ゴール」だと思ってしまう。
でも実際は、そこがスタートなのだ。
二人は糸を引き続けなければならない。毎日、少しずつ。そして糸は時々もつれるし、時々切れそうになるし、時々別の糸と絡まる。
完璧な王子様は存在しない。存在するのは、一緒に糸を紡ぎ続けることを選んだ人だけなのだ。

最終章:すべての出会いは赤い糸である
ここまで恋愛における「運命の人」について語ってきたが、赤い糸の概念は何も恋愛だけに限定されるものではない。
友人との出会い、師との出会い、本との出会い、音楽との出会い、そしてアートとの出会い。
すべては可能性の糸だ。
この記事に辿り着いたあなたもまた、何千本もの糸の中から、偶然か必然か、この一本を手繰り寄せた結果である。Googleの検索結果をスクロールし、タイトルに目を留め、クリックし、ここまで読み進めた。
その選択の連続が、あなたをここに導いた。
ということは、この記事で引用したアート作品たちも、同じように誰かとの出会いを待っている無数の糸なのだ。
本記事で引用したアート作品






これらの作品はイタリア・ローマ発のアートブランド「ROMANs(ローマンズ)」。POPなタッチで、人類とは?人生とは?という深い哲学的世界をテーマにしている。
これらの作品との出会いもまた、一つの赤い糸だ。気に入った作品があれば、その糸を引っ張ってみてほしい。アーティストの他の作品を見る、背景を調べる、似た作品を探す。
その一本の糸が、新しい世界への扉になるかもしれない。






