毎年4月30日はUNESCOにより制定されている国際ジャズ・デイで、2024年はモロッコの港町タンジェでジャズのコンサートが開催されたそうです。
チャールズ・ファジーノはジャズをはじめとする音楽をテーマとした作品をこれまでいくつも制作していますが、今回は過去記事でもご紹介した作品「ハーレム&オール・ザット・ジャズ」を中心にご紹介いたします。この作品に描かれている時代は世界で最もジャズというジャンルがニューヨークで盛り上がった時期が描かれており、ジャズの魅力がたくさん詰まっています。
チャールズ・ファジーノが作品を描く時にテーマとしている、「時代を後世に伝える」という意味でもまさに時代性が正確に描写されていて、ジャズが発展してゆく時代を捉えています。
今回は、そんなニューヨーク・マンハッタンのジャズの都を描いた「ハーレム&オール・ザット・ジャズ」の深掘り解説をお届けしてまいります!
ハーレム&オール・ザット・ジャズ深掘り解説
アメリカ・ニューヨークのマンハッタンに位置するハーレムという地区を描いた作品です。
この地はジャズの都として有名で楽器や五線譜や音符などがいたるところに描かれており、今にも綺麗な音色が聞こえてきそうで、今にも踊りだしたくなるような一枚。
観光名所のアポロシアターや多くの黒人ミュージシャンを世に出したと言われる今は亡きコットン・クラブなど、ハーレムを象徴する歴史と名所が詰め込まれていて、シックでおしゃれに飾ることができます。
「ハーレム・アンド・オール・ザット・ジャズ」は、3Dポップアートの巨匠によるモノクロームの新作である。 ゴールドのハイライトは、1920年代から1930年代にかけてハーレムの中心で繰り広げられたジャズの「黄金時代」を暗喩している。この作品は、コットンクラブ、レノックス・ラウンジ、アポロ・シアターなど、ジャズ発祥の地として全盛期を迎えたハーレムを象徴するナイトクラブにインスパイアされている。
“ハーレムとオール・ザット・ジャズ”は、コットン・クラブ、レノックス・ラウンジ、アポロ・シアターといった象徴的なナイトクラブをフィーチャーした、街のスカイラインのモノクロ新譜。
ファジーノがジャズ・ミュージックを耳にすると、コットン・クラブが禁酒法時代に “ビール “を売り、地元の人々が “ビッグ・アップル・ダンス “を踊るためにクラブを訪れていた時代に思いを馳せる。 近くで見れば、クラブで演奏していたエンターテイナーたちに見覚えがあるかもしれない!エセル・ウォーターズ、キャブ・キャロウェイ、デューク・エリントンなど、当時最も広く知られていたブルースやジャズのパフォーマーたちだ。
「音楽は芸術の一形態であり、だからこそ歴史のこの部分が私に語りかけてくるのです。当時は魔法のような時代で、ハーレムは魔法のような場所だった。私は、暗い時代に光をもたらした要素を強調するために、深いグレー、明るいシルバー、メタリックゴールドの対照的な色を使いました。音楽も、ナイトクラブも、パフォーマーも、その雰囲気も、すべてこの作品を見るだけで聞こえてくるような音を作り出しているんだ。
ルイ・アームストロング
口が大きく、Satchel Mouth(小型カバン口、つまり大口)略してSatchmo(サッチモ)の愛称で知られるルイ・アームストロングは、明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマ的かつ独創的な演奏者であり、洗練されていない地方的なダンスミュージックをポピュラーな音楽形態であるジャズへ発展させた人物。
歌手としても有名で1950年代には「バラ色の人生」や「キッス・オブ・ファイア」等が大ヒット。また、1953年には初の日本公演も行いました。
1960年代、時代がビートルズを代表とするポップ・ミュージック一色となる中でも、多くのアメリカ国民に受け入れられ、ビートルズが連続1位の記録を更新中にも関わらず、「ハロー・ドーリー!」が全米№1を記録し、全米を驚愕させたことでも有名で、1999年にLIFE誌の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」にも選ばれています。
デューク・エリントン
デューク・エリントンはジャズの作曲家、編曲家、ピアノ奏者、オーケストラ・リーダーとしてジャズ界を牽引した一人。
「A列車で行こう」や「キャラバン」など、ジャズのスタンダード曲を世に送り出し、1927年にはニューヨーク市マンハッタン区ハーレムの高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」とバンド契約に至りました。
1964年に新潟市で新潟地震が発生した際に日本公演を行い、地震の被害を知った彼は、次に予定されていたハワイ公演の予定をとり消して、東京厚生年金会館にて震災に対する募金を募ったコンサートを開催し、そのコンサートの売上を新潟市に贈ったりと日本にも貢献した人物です。
ビリー・ホリデイ
「レディ・デイ」の呼称で知られるビリー・ホリデイは、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられるほど有名なシンガーです。
彼女の生涯は壮絶な人生を送りながらも代表的な曲である「奇妙な果実 」や「神よめぐみを」、「I Love You, Porgy」、「Fine and Mellow」などは、後年に多くのミュージシャンに取り上げられ、彼女の死から約40年後の2000年にはロックの殿堂入りを果たしました。
デューク・エリントンとも1935年に共演しました。
コットン・クラブ
コットン・クラブは、1920年代の禁酒法時代にニューヨークハーレム地区にあった名高い高級ナイトクラブ。
時代背景も相まって、顧客は全て白人でスタッフと演奏者は全て黒人でした。また、経営者はアイルランド系のギャングスターとして名の知れたオウニー・マドゥンという人物です。
クラブの出し物であるジャズライブが有名でコットン・クラブを中心に活動したバンドで最も有名なのは、先ほどご紹介したデューク・エリントンの楽団です。
アポロ・シアター
アポロ・シアターは、ポピュラー音楽においてアメリカ合衆国の人気なクラブの一つであり、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンやアーティストが中心の有名クラブで、毎年130万人が訪れるニューヨークの観光名所の一つとなっています。
1860年代に設立されたこのクラブは、これまでたくさんの有名なジャズシンガーを始め、いろんなアーティストがステージに上がりました。
1934年以来、アマチュアの歌手やダンサーが出演する人気イベント「アマチュア・ナイト」が行われていて、プロへの登竜門といわれ、ビリー・ホリデイやジェームス・ブラウン、ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダーなど多くのスターを排出してきた歴史があります。
レノックス・ラウンジ
レノックス・ラウンジは、ハーレムにあった老舗のバーで1939 年にラルフ グレコによって設立され、ビリー ホリデイ、マイルス デイビス、ジョン コルトレーンなど、多くの偉大なジャズアーティストの演奏会場としても有名でした。
バーは 20 世紀半ばに人気が低迷し、1999 年 9 月から 2000 年 3 月までオリジナルのアールデコ調のインテリアを復元したことで2002 年のザガット サーベイナイトライフ ガイドと 2001 年のニューヨーク マガジンによって「ベスト オブ ザ ベスト」に選ばれましたが、経営難を理由に2017年5月に建物は取り壊されました。
その他のジャズをテーマにした作品
ハイスピリッツ&ユウからのメッセージ
マンハッタンのジャズの都を描いた「ハーレム&オール・ザット・ジャズ」の深掘り解説はいかがでしたでしょうか?
このハーレムという地区に刻まれたいろんな歴史や有名な人物が描かれていることがわかっただけでも、この作品の素晴らしさや価値が伝わったのではないかと思います。
また、ハイスピリッツ&ユウでは、チャールズファジーノ国内唯一の正規代理店として、これからも3Dアート作品を発信していきますので、今後の情報もお見逃しなく!
皆様のアートライフを少しでも3Dアートで色鮮やかにしていただければ幸いです。
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